忌野清志郎の声を初めて聞いたのは高校生の時。
当時フォークグループだったRCサクセションのリードボーカルの清志郎の声がラジオから聞こえてきた。
大学に入ると、今度はそのRCサクセションがパンクバンドになったというので、半信半疑で日比谷の屋音にコンサートを見に行くと、そこにはビリビリに破いた服を着た清志郎がいて、あまりの変貌振りに頭の中が真っ白になった。
しかし思えば『変身』の前に、発売→すぐに廃盤→ファンの署名活動で限定再発売(後にメジャー発売)という数奇な運命を歩んだ名盤、『シングルマン』にはすでにその変身ぶりの片鱗があちこちにちりばめられていた。
恥ずかしながら当時軽音楽のサークルに入っていたのだが、そのサークルの中での一番の人気バンドはRCサクセションだった。ほとんどテレビに出ていなかったもの関らず。
屋音、渋谷公会堂、日本青年館と初期のロックバンド・RCサクセションのコンサートを何回見たことか。
一番奇妙だったのが当時銀座にあった東芝のショールームでのライブ。
西銀座デパートの、今はHMVがあるあたりに東芝のショールームがあり、ミニライブが出来るステージがあって、その前には客席ならぬミキサーがずらりと並び、予約をした人がそのミキサーで自分でライブのミキシング・録音をしてテープを持って帰れるという仕組みだった。
そりゃー異様でしたよ。
『ヨーコソーぉおー!』なんて叫んでいる清志郎の前にはエレクトーンみたいなミキサーの前に座ってヘッドフォンをつけたおたくっぽい若者がずらり。ノリもなにもあったもんじゃない。しかも西銀座デパートの構造上、通路との境も無く、丸見えで音も筒抜け。
就職してコンサートに行くことも極端に少なくなったが、幸か不幸かこのころからRCサクセションは奇跡のように売れ始め、テレビの歌番組でバックダンサーの女の子を羽交い絞めにしたり、ガムを吐き出したりして、エンターテーナーとしての真面目さを遺憾なく発揮するのだ。
野音でRCを見たのがもう20年も前とはとても信じられない。スリムな清志郎は下唇の下のちょび髭以外、当時と全く変わっておらず、その感を一層強くさせる。
忌野清志郎が癌に侵されたと聞いたのはいつのことだっただろう。
喉頭癌。
手術をしなければなるまい。当然歌は歌えなくなる。
しかし、才能のある人なので、今後はプロデューサーや作曲家として活躍してくれればと思った。
忘れられないシーンがある。
忌野清志郎が初めて『笑っていいとも』の『テレフォンショッキング』に出たときのことだ。
スタジオから紹介者(誰だったか忘れた)が電話をするのだが、何度電話をしても、『うるさい』『寝てるんだよ』とすぐに電話を切ってしまう。最後には『後でまた電話してくれよ』でタイムアウト。
翌日、番組に出演した清志郎は『午前中に起きたことはほとんど無い』という意味のことを言っており、それを聞いた時、ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンの姿が頭に浮かんだ。
何年かが過ぎ、また清志郎がテレビに出ていた。
なんとレーサータイプの自転車に乗っている。
何という変貌ぶり!フォークからロックに変節(笑)したときより激しい変化ではないか!
一日に何十キロも自転車で走るだって・・・・、何が彼を変えたのか?家庭を持ったこと、子供が生まれたことが世界で一番健康的なロックミュージシャンに彼を変えたのか?(ロッククライミングが趣味のデヴィット・リー・ロスとどっちが健康的か?)
そして癌。
せっかく健康的な体になったのに、何ということだろうか。しかし、声を失っても、生きていればこそ。なんとか生き延びてほしい・・・・、と思うのは浅はかな凡人だけらしい。
彼は手術で癌細胞を取り除くのではなく、温存、つまり癌細胞とうまく付き合い、ともに生きる方法を選んだ。
そして復活。
二年間の闘病生活の後の復活ライブ。
残念ながら武道館のライブには行けなかったが、NHKのスタジオライブを見て涙が止まらなかった。
20年前の清志郎がいる。20年前に僕がいた屋音の空気がそこにある。
忌野清志郎がビッグイベントの開会式で君が代を歌っている夢を見た。
正夢にはなるまいが。
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